Le Jour 9 du Tour au Puy-de-Dôme

誠に勝手ながら、ここでトルコ道中顛末記を書こうと思う。

 

私はフランス滞在において、本来の目的とは違う観光ビザで入国した為にオーバーステイを回避する必要に迫られ、苦肉の策として「フランス再入国なんちゃって計画」を実行。当時はフランスの他、ヨーロッパ各国ではユーロ統合に向けEC共同体となってコトが進んでいて、隣国へ行く程度では出国扱いにしてもらえなかった。本来は日本へ一時帰国して再び渡仏すればいいだけなンだけど、そんなことを三か月ごとにやっていたら金も時間ももったいない。じゃあもうちょっと離れた国へ行ってくればダイジョウブなんじゃない?っていう都市伝説みたいな話。大丈夫かな。いつもながら長文になりそうな・・

 

フランスの雇用契約は基本、月給ではなくて年俸制なので、仕事を休んでも給料が減る心配がない。バカンスもきっちり契約の中に入っているから、休みは当然の権利っていう考え方。私が「サンドラは居ないの?」と訊けば「彼女はバカンス。次はミッシェル」と返ってくる。そういうお国柄だから、フランスの夏は皆、決まったように避暑地へ向かう。

 

そんなフランス人に交じって、私は別の事情でトルコへ向かったワケです。朝7時に起き、グザビエとクロディがイタリアで買ってきた7人乗りのプジョーで、セルジュさんの友人のおばあちゃん二人を送るついでにポー(PAU)まで乗せてくれる。

12時12分発のTGVがホームに入ってくる。到着してもドアは開かない。自分で大きなボタンを押すとステップが電動で出てきてドアが開く。二等車で一人159フラン。ボルドーのサン・ジャン駅に14時34分到着。ここから空港まで回送バスに乗る。34フラン。空港に到着し、旅行会社マルマラの窓口を見つけて手続き。トルコのイズミール行きの便は夜の最終便。バーでサンドイッチを食す。そして搭乗手続きの時間が来て飛行機に乗り込む。離陸。ここで想定外の " 事件 " が起きた。

 

機内はトルコへバカンスに向かうフランス人ばかり。トルコ人機長のヘタクソなフランス語の挨拶に、機内のあちこちからクスクス笑う声が。そういうなごやかムードでしばらくの間、飛行機はトルコへ向かっていたのだが、ある時、ひとつのアナウンスによって機内が静まり返ってしまう。ん?今なんて言ったの?まわりの乗客はみんな黙ってしまい、私は同じ様にうつむくしかなかった。

 

飛行機は高度を下げ、着陸態勢に。窓の外を見ると真っ暗な中、建物の明かりがポツリと見える。乗客は荷物をまとめて立ち上がるンだけど笑顔が無い。私も席から立ち上がり、出口へ向かう。

 

ここで種明かし。実は、私が乗った機はイズミールへの直行便だったンだけど、到着したのはイスタンブールだったのである。どうやら機内トラブルが発生し、急遽、イスタンブールへ向かうことをアナウンスしていたのである。ここで代わりの機体に乗客をトランジットする旨をアナウンスしてたンだけど、それを理解出来ずにいた私はイズミールに到着したのだと確信し、イスタンブール空港の手荷物受取所で自分の荷物が出てくることを信じて疑わなかった。

 

到着ロビーは我々だけではなく、たくさんの人であふれていたから余計にわからなかった。何人かの人が私の方へ手を挙げて叫んでいる。私はそれを眺めてたンだけど、諦めたのか、みんなは手を下ろしてゾロゾロと向こうへ歩いて消えていった。今だからわかるんだけどね。

 

荷物を手にした人達がその場を離れていく。やがて、引き取り手の無い荷物が数個、コンベアーの上を廻っているだけになり、私はただひとり。これはおかしい。なぜオレの荷物が出てこない?ロストバゲージか?私はトランシーバーを持つ警備員らしい女性に声をかける。

 

私:「私の荷物が出てこないんです」

女性:「搭乗チケットを見せて」

 

私は女性にチケットを手渡す。女性はそれを見て

 

女性:「ミスター!ここはイズミールじゃないョ。ここはイスタンブール!」

 

イズミール行きの便はさっきので最後。明朝の第一便までイスタンブール空港に留まるしかないンだけど、航空チケットは自腹で購入するはめに。イスタンブール発イズミール行きをクレジットカードで1枚購入。19,500,000TL。せんきゅうひゃくごじゅうまんトルコリラ。ドルに換算すると72ドルです。時計を見ると午前2時。ノドが乾いたので現金が欲しくて両替所へ行き、ジイさんが足を机に乗せて寝てるのを起こし、フランスの紙幣を出して両替をお願いすると「フランクはだめ!ダラー、ダラー」私が途方に暮れているのを見たトルコ人の若い男性が後ろからやってきて「この人は困ってンだよ!両替してやれよ!」みたいなことだと思うンだけどトルコ語でまくしたててくれて、ジイさんは渋々トルコリラに交換。私は男性に何度もお礼を言う。男性は「いいよいいよ!ダイジョウブだよ!」と笑顔で応じてくれた。で、コーラを買って一息に飲み干す私は廻りを見渡す。空港は汚くて臭い。例えると、ウドンの汁を雑巾で拭いて半年程置いたままにしておいたような匂いに、安物のオーデコロンと汗の臭いをブレンドしたような感じ。

朝5時を過ぎて行先案内表示板が「パタパタパタパタ」と動き出したのを見た私は「やっとかぁ」と溜息。長い夜が終わり、機内へ。イズミールへ飛んだ。

午前8時到着。さっそくロストバゲージを探してもらうンだけど見つからない。現地スタッフはフランス語がダメ。困っている私をよそに詰所で朝のパンを食べて談笑してる。若い男性が一人、フランス語ができて一緒に探してくれる。3時間後「ムッシュ!ありましたよ!」と。その後、旅行会社のマルマラの職員に会って2時間位私は激しく事の顛末を話す。そしてトルコ人のおじさんが運転する真っ赤なセダンに乗ってホテルまで二人っきりで無言の2時間が過ぎた。だっておじさんフランス語できないって言うから。ホテルまでの道中、谷底に落ちてるクルマをいくつも目撃。そのうちの一台はクレーンを使って引き揚げていた。

 

ホテル・エリット・ライ到着。部屋のカギを受け取り二階へ向かう。ふぅ、まずはビール飲むか。荷物を置いてロビーへ。ビール一杯とミネラルウォーター二本で150万TL。サングラス壊れた。直した。アメックスのトラベラーズ・チェックなのにウラにサインを求められ、パスポートを要求され、部屋の番号も訊かれて、オレなんか疑われてる?

ホテルの受け付けには世界中の時刻を表した時計がズラッと並んでいて、トウキョウの時刻も違うし、フランスの時刻も間違ってる。ダイジョブかなこのホテル。

 

翌日、部屋のドアの隙間にメモ用紙が。二つに折りたたんであるのを開くと「これからイスタンブールにトルコ石を買いに行ってきます。午後2時にホテルの外のバス停で待っていてください ♡」とハートマークまで書いてある。私は行かなかった。

 

ロビーに居ると現地の人が来て「日本語を教えてくれ」と。紙に書いた文字を見て人だかりができる。マルマラの職員のブラックさんも覗きに来て、日本語を興味深そうに見ていた。

 

お土産屋のムラットと仲良くなり、売り物を見ていると「これは幸福になるものだ」と言うので、ガラス製のオブジェを買った。

小さなアクセサリーをいくつもくれた。グザビエにおみやげを買った。ホテルを出発する時に写真を撮ろうということになり、お互いに住所を交換。手紙を出すことを約束する。私はグザビエの住所を書き、ムラットの住所をもらう。

 

「Murat HERIN タネ・イシハヌ・カヤジャン・フォトラクチュルク sk1883 No.5 チャンカヤ・イズミール」

 

ムラットの友達アリ・シュケール (ALI SEKER) とも仲良くなり、三人で写真を撮った後、ムラットとホテルの階段で腰かけてお互いの肩に手を回し、記念撮影。

 

お互い、本当に別れが寂しくて、ムラットは悲しい顔をしていた。私はバスに乗る。バスはイズミール空港へ向かう。イズミールの町は砂埃だらけで、車が通ると砂が舞って咳き込む位。途中にマクドナルドが有って、ゴミコンテナを子供達が残飯を漁っているのをバスに乗ってるフランス人達が「おい、あれ見ろよ!」と座席から立って見ておどろいていた。

 

空港到着。バスから降りると「ポーター」と書いてある服を着たトルコ人が「ジャパニーズ?」と声をかけてきたので「ノン!」と言った。

 

空港の入口には荷物検査が一か所しか無くて、道路まで人が並んでいる。30分かかってやっと建物の中へ。ピザとコーラを食べながらパスポート検査ゲートを見ると6か所あるのにものすごい人(200人以上?)で溢れてて、全然前に進んでいない。私はコーラを流し込み、急ぐ。案の定、全然前に進まないので、一人のマダムが無理やり人を押しのけて前に進むのを見てすぐ後に続く。遠慮してたら飛行機に乗り遅れてしまう。係官はのんびりやってて、こりゃだめだと納得。日本人は珍しいので、結構疑われてやっと通過。渡り廊下で折り畳み椅子に座る警察官にも呼び止められ、「パスポートを出せ」と。乗り遅れちゃうよ~