ブルターニュ展が終わって Epilogue

19世紀から20世紀初頭にかけて、

なぜブルターニュに画家が集まっていったのか、それを紐解いていく企画展だった。パリを目指した画家達は、モンマルトルやモンパルナスに集まっていく。そこはまるで美術学校みたいになってきて、人はその場を「エコール・ド・パリ」と呼ぶ。ここには情報が集まって、異郷だったブルターニュも注目される。

 

ブルターニュに行っていない画家も多い。ゴッホ (Vincent van Gogh) は出生地オランダからパリに来て活動するンだけど、その後南仏プロヴァンスへ移動する。まぁここでいろんなことが起こるんだけど、精神を病み始めたゴッホは結局、パリ近郊のオヴェール・シュル・オワーズに移住。30代の若さで没することになる。

 

ゴッホの作品はなぜ売れなかったのか。

 

そういう議論がネットで乱立してるのだが、私に言わせれば、ゴッホは長生きすればよかっただけのこと。心を病んで、ネガティブなことが起きて、良いことが無い中でもゴッホは制作活動を続ける。 " 売れる絵 " を描けばいいのだけれど、ゴッホはそれをしなかった。30代の若さで成功する画家なんてまれ。売れる絵を描いて生計を立てることも決して悪いことじゃなかった。画家は作品を買ってもらってなんぼの職業。売れなきゃメシ食えない。自分で「いい」と思うものを作れば、賛同してくれるお客さんも必ず存在する。それまで根気よく続けるしかない。批判する人を追いかけてまで、自分の料理を曲げなくてもいいンじゃないの?って思うけど、ゴッホはココロを病んだのが悔やまれる。

 

私は「売れるから」という理由で料理やお菓子を作っていない。自分がウマいと思って作ってる。だから、リラダンの料理やお菓子を批判する人は居る。元々お客さんに合わせて作ってないから当たり前なンだけど。

ゴッホは描きたい絵を描いた。批判する人には「解らないアンタがおかしいンだよ」ってスタンス。それを貫き通して、起こる出来事をポジティブにとらえて、みんなと一緒にブルターニュへ行って、ツケが効く宿で好きな絵を描いて、モネやFoujitaみたいに長生きしていたら、、

 

懐かしいカルピスの黒人マーク。

非水(杉浦非水)と共にFoujitaも関わっていたこの案件を次回、

" 番外編 " として取り上げようと思う。

 

「杉浦非水 時代をひらくデザイン」

 

群馬県立近代美術館(群馬の森)

6月18日(日曜日) まで