4éme「水浴」

 

ご来店の無いディナー。最終ご入店の19時20分を待たずに、

私:「もう閉める」

外に出て、駐車場にポールとロープを張ろうとした時、びっくりドンキー側から男性と女性が飼い犬を連れて入って来た。私は行く末を見ていると、敷地内に入ってきて、フェンス際で犬におしっこをさせた。

私:「ここはオレんちです。お水、持ってますか?」

男性はハイって答えたが、無言の女性は手に持つペットボトルでおしっこに向けてピピッと放水。その後、無言で立ち去るのを見ながら私は水道の水をバケツにたっぷり入れ、現場付近へ向かうこと三往復。びっくりドンキーも星乃珈琲も雑草だらけだが、リラダンは毎日雑草に目を配っている。もちろん、犬がおしっこした場所も然り。私が気が付かなければ翌日、知らずに作業していただろう。

ワンちゃんには罪は無い。一方、飼い主は住民の理解を得る行動を取ることが大切だ。犬がそちらへ向かおうとすれば、飼い主がリードしてあげればいい。そもそも、そんなおまじない程度の水量でおしっこを中和させることができると本気で考えているのだろうか。おそらく女性は私に対して不快に感じたのだろう。私?水に流しましたヨ。

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翌日。開店5分前の角上魚類。

入口には数人の客が並ぶ。私も後ろに並ぶと、その後次々と後客が並んでいく。

私:「ここに並ぶの、久しぶりだなぁ」

すると、一人の男性が列を切ってカゴを取り、カートに乗せると最前列の真後ろで自動ドアが開くのを待ち始める。お?まさか。

案の定、開店と同時に、店内へカートと共に動き出す。おいおい、オレの後ろに並んでる人いるんだぜ?私は左手で男性を制し、

私:「みんな並んでるんだから後ろへ並んでください」

男性:「あ?え?」

それでも進もうとする男性。私は再度、手で制して「並んでください」と止める。列の人達は私に続いて店内へ。

私は後ろを振り向かずにハーブ売り場へ。あの男性は私の制止には従っていたが、その後かまわず入店しただろうと思う。

 

いろんなンが居るよね。

 

「芸術というのは、自然を主観的に変形させたものである」

 

ぶっちゃけ、それだったら料理も芸術じゃん、ってなるんだけど、ドニ(Maurice Denis)が発したこの言葉はそーゆうことではない。アカデミックな考えと一線を画す言葉でありながら否定とは違う。ドニは幼い頃から熱心なキリスト教徒で、布教活動の為に画業があるのだと自分で言ってる。新しい画風で現代の絵を描きながら、聖書や神話をそれとなくしのばせるからサロンでも好意的に迎えられているって感じ。

サロンでも新派でも受け入れられてて、敵が居なくてうらやましい。両親もしっかりした仕事を持ってるから、幼い頃から裕福な家庭だったのがうかがえる。ドニ同様、他の画家がエコール(美術学校)に通えたのは父親などのパトロンがお金を出したからだけど、波乱の人生を送る他の画家と違うのは、新しく出てくる画風や流儀を、風俗と宗教を織り交ぜて表現したドニならではの芸術だからなのだろう。シニャック(Paul Signac)に倣った技法で、自身の家族を聖母マリアやキリストに例えながら、家族愛を表現してる。サロンでドニが良い印象を持たれてるのは、そーゆうことなんだと思う。

イタリアのルネサンス芸術で多く見られる肉体美。ドニはブルターニュの海で戯れる男女の裸体で表現した。

 

1920年 油彩/カンヴァス 116×120.2cm

Maurice Denis