3éme「ポール ードモワの洞窟」

 

料理人は全てにおいて “模倣” から始まる。まずは先人が作ってきた料理を作る。それが基本や伝統を学ぶことに繋がるし、それを知ることは重要なことだ。

フランス料理の世界では、他に無い一皿をオリジナルだとし、それを「マ・キュイジーヌ(私の料理)」と呼ぶ。注目されるし、クリエイティブだと称賛される。他のキュイジニエ(料理人)は見本にするし、教えを乞うキュイジニエが集まってくる。ガストロノミーの世界というのはそういうものだ。

一方、リラダンの料理は “ フランス料理 ” であり、私のオリジナルではない。「スペシャリテ」というのはリラダンにもあるけど、それはマ・キュイジーヌではなくてフランス料理。そもそも私はクリエイティブ(創造的)な料理が作れない。同じ料理を何百回も何千回も繰り返す。500回作って、501回目に新しい発見がある。そういうのが日常で繰り返されて、そのうち「負ける気がしねぇ」って思えてくる。それが私の理想だからストレス無いしプレッシャーも無い。手間のかかる仕事も日常にあるけど、まぁ苦痛ではないね。そういう観点からすると、私はモネやゴーガンのような芸術家を目指すことは不可能だし、やっぱりスゲェな、と思う。芸術の世界もやはり最初は模倣から始まるんだけど、もともと絵が好きで、誰に教わることもなくササッと描いちゃう人も居る。モネがそういう人で、子供の頃から絵で小遣いを稼いでたから、絵の先生に「ちゃんと学んでみたら?」と油画の勉強を勧められたのが始まりだ。そりゃあもちろん、そこからデッサンなどの素描や模写もしたかもしれないけど、上手に模写出来たら認められるわけではない。カラオケが上手でも歌手としてデビューできないのと一緒。やはり個性や独自性がある “ 私の絵 ” にしなければならない。それでもサロンに出品すれば批判されるんだからね。

でも料理っていうのはシンプル。上手においしく作れたら認めてもらえる。私が言う「食い物は芸術じゃない」っていうのはそういうことなんだよね。オイシイ料理と違って、認められることが難しい音楽や美術こそが芸術。真似が出来ないから「芸」っていうのよ。

ゴーガンもゴッホも没後に評価が高まったけど、モネは生きてるうちに認められた。でもそれはモネが長生きしたから自分で確かめることができたのよ。総じて評価が高かったルノワールも他の画家より長生きだったけど、アカデミックな評論家は「肌の色が死体みたい」って言う。光りに反射する茂みや水辺、窓から降り注ぐ太陽光、シーツの上に横たわる裸婦の肌は、あちこち薄いブルーに見えたルノワールは、カンヴァスの上に色を重ねた。21世紀になって、当時の批判は否定され、すんごい金額で取引されるようになって、まあそれは投資や収集などいろんな理由で価格が釣り上げられていった背景もあるけど、こうやって国立西洋美術館に私が行けるのも、松方幸次郎氏が収集したコレクションのおかげなんだよね。

“ 海に浮かぶ美しい島 ” ベリール アンメール という島はそういう名前。クロード モネは、静かなベリールの海岸とポール・ドモワの岩礁を題材に選んだ。岩礁の洞窟が主題だからか、水平線ははるか先に見えるように画面の上方だけど、内湾で細かく波立つ海面と、それに続く岩礁。落ちたらヤバい 。

モネっていうと睡蓮シリーズを思い出すけど、なんであんなに睡蓮をモネが描きまくったかというと、描いてる途中で刻々と場面が変化してしまうから。曇ってきたり雨が降ってたり、朝日に照らされた早朝、陽が沈む夕方。だからモネは何枚もカンヴァスを並べて、その時々のシーンを映画のコマのように描き分けた。

モネが絵筆を手に持ち、イーゼルの前でボーっと立ってるのを他の画家が「どうして描かないの?」というと「今、太陽が隠れてしまったから」って言う。「でもココの部分は関係無いから描けばいいじゃん?」って言うんだけど、モネは動かない。

モネも「あーしろこーしろ」って言われるのがイヤなんだよ。

本来、絵というのはアトリエで描く。なぜかというと、絵具を調合するのは屋内じゃないとできなかったから。だから画家達はクロッキーをアトリエに持ち込み、記憶と共に制作に励んだんだけど、その後、スクリュー式のキャップを使ったチューブが開発され、屋外で容易く作業が出来るようになった。それでもそういう習慣は続くんだけど、モネはイーゼルとカンヴァスを屋外へ持ち出す。アトリエで記憶を頼りに描くのと違って、目の前の対象は刻一刻と変化する。雨は降ってくるし、風は吹いてくるし、ちょっとまってよー、ってなる。ベリールの海もそう。「ポール・ドモワの洞窟」とは違う荒れた「ベリールの海」は、奇岩に打ち付ける荒波を描いてる。これ、モネの帽子も飛んでっちゃうくらいの荒天の中で描いてるよ。ちゃんと安全な場所で描いてるんかね。こっちが心配になってくるよ。

モネ(Claude Monet)はマネ(Edouard Manet)に「オレの名前に似たヤツが居る」ってェ言いがかりを付けられちまったンだけど、モネはマネを尊敬してたし好意的に見てたからケンカにはならなかった。むしろ自身の作品に「モネ」とサインしていたのを、それ以降は「クロード・モネ」って記すようになった。

 

1886年 油彩/カンヴァス 65×83cm

Claude Monet