ポンタヴェン(Pont-Aven)ときいてすぐ連想するのが、ゴーガン作「ブルターニュの踊る少女たち、ポンタヴェン」(1888年)。
実は今回、この作品は無かったんだけど取り上げたい。12年前のワシントン・ナショナル・ギャラリー展。三人の少女が手をつないでブルターニュの民族舞踏ガヴォットを踊ってるんだけど、この女のコ達がムチャクチャかわいい。買えるワケないのに「欲しい」と思った。コピー?いやいや、ホンモノじゃないとダメ(笑)。
三人の女のコはコワフをかぶってる。お母さんが「かぶりなさい」って言ってるのかな。木靴にはシューケン付けてて、それがアクセサリーみたいでまたかわいい。あ、シューケンっちゅーのは、木靴を履くと足のくるぶしが当たって痛いから、それを守る為の、銅製の留め金。
ゴーガンはこの絵をお金に換える為、画商に託す。いやぁプロだね。オレだったら手元に置きたい。絵を託したのは画商テオ。テオは、ゴーガンの友人ゴッホの実弟。ゴーガンはゴッホとうまくいかなかったけど、ゴッホがキライだったワケじゃない。ゴッホに手紙も書いてるしね。で、テオはゴーガンに、この絵に買い手が付いたんだと手紙をしたためた。そン中で、テオはオドロキの提案をする。
テオ:「お客さんがね、“額に入れると女のコの右手が切れちゃうから、ちょっと描き直してよ”って言うのヨ。イヤなのはわかるんだけど、そこをなんとか頼むよ」
もし私がゴーガンの立場だったら、
私:「じゃあさ、その手の部分だけガクブチ削んなよ(怒)」
「あーしろこーしろ」っていうのオレ、キライなんだよね。
そんな私とは裏腹に、ゴーガンはテオの提案に(ブツブツ言いながら)描き直したのは神対応。で、売れずに終わった。そんなぁ、買うっていったじゃん。。落胆するテオとゴーガンが目に浮かぶ。だから言っただろ?辞めとけばよかったのに。居るんだよこういうの。「あーしろこーしろ」っていう客にロクなの居ねぇって。一方、ウチのお客さんは「シェフの好きにしていいヨ (^^♪」ってスタンスだから、メニューに無いモンもどんどん出しちゃう。おいしくなくても食べてくれるし、必ずまた来てくれる。
やっつけ仕事でヘンなもん出したくねぇから料理も遅くなっちゃうんだけど、どんなに遅くなっても笑顔で待っててくれる。
いいモン出さなくちゃ!って思わずにはいられない。だからリラダンでは「急いでる」っていう人は私が断ってる。
お客人:「どのくらいかかる?」
私:「30分はかかります」
「じゃあまたにする」ってその人が帰った後、隣りで聞いてたお客さんに5分で出す。まぁホントに30分かかることもあるけど。モノを作る人に「急いでる」って言うと良い物は絶対出来ませんよ。だから私はホシザキのTさんにも修理に来た電気屋さんにも、
私:「時間かかっても大丈夫。ゆっくりやってください」
「一服してください」職人さんにはペットボトルの冷やした炭酸水。あとは頼んだよ、とその場を離れたりせずに作業を見守る。職人さんのジャマにならないようにするし、見られている方もやりづらいかもしれないけど、手抜きもできない。そもそも職人さんの仕事っていうのは見ていて感心するし、勉強になる。その部品はなんですか?なるほど、だから動かなかったんだぁ。これから使う時は気を付けたいと思います。
ゴッホの熱い想いに応えて始めた共同生活はすぐに耐えられなくなったようで、わずか数週間でそこを飛び出したゴーガン。同じアトリエでゴーガンの筆運びを眺めるゴッホが「あーしろこーしろ」って言うもんだから、ゴーガンがキレちゃった。
その後、ブルターニュへ向かったゴーガンが描いたのが「海辺に立つブルターニュの少女たち」
楽しそうに踊るポンタヴェンの少女達と違って、農家での日常を送る二人の少女はビスケー湾を望む丘で互いに手を握り、こちらに立つ鑑賞者をジッと見る。異様に大きい二人の裸足。ギュッと握って離さない二つの手。なんとも言いようのない気持ちになってくる。
1889年 油彩/カンヴァス 92.5×73.6cm
Paul Gauguin