トロがお星さまになって一年

お供え用の花を購入し、取引先へ。帰る道中、信号が青に変わり、私は車を発進。

左折した目の前を白い子ネコが左側から横断を始める。

子ネコ:「ニャー!ニャー!」

私:「・・・」

子ネコはこちらを見ながら大きく口を開けて自己主張。対向車が猛進してきていたのを確認した私は、

子ネコの横断を暗に知らせようと停車を維持。それを知ってか知らずか対向車は減速する。

私:「ゆっくり渡るってどうよ・・」

悠然と渡り終えた子ネコを横目に、一人つぶやく私だった。

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あれから一年経っちまった。トロは相変わらず私の前で眼力ある睨みを利かせている。

やっぱりネコはかわいいし、癒されるし。ただ、トロの”代わり”を探すつもりはこの先も無い。

とはいえ、どこからともなく縁が発生すれば、迎えようと思う様になれたのは私の成長かな。

実現するのはまだ先の話だと思うのだが。

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そもそも私がリラダンのひとりごとを始めようと思ったのは、群馬ではフランス料理店の理解が乏しいと痛感したからだ。

コースの意味、パンにバター、デザートはケーキセット、お手拭き、カゴ、ひざ掛け、、書ききれない。

私:「こりゃなんとかせんといかん」

フランスという国は、社交界での振る舞いは意識せずとも日常生活から身に着くので子供でも関心するほどマナーができてる。東京でも長崎でもお客人の所作は問題なかったのに、なんで群馬ってこうなのよ。サッカーのワールドカップフランス大会でフランスが優勝したのを見届けたその冬、フランスから群馬に帰って来て5年間、私はイタリアン、居酒屋、企業のアンテナショップなどで働かせてもらった。ちなみに、なぜフランス料理店で働かなかったのかといえば、私のいう理想が群馬に無かったのが理由なのだが、もうすぐアラサーになりそうな名も無い男を雇いたい仏料理店が有るワケはないのである。バイトや年契約などで働きつつ物件を探し続けて出会ったのが、当時蕎麦屋だった現在の場所。即決したことでとんとん拍子に話は進み、2004年の秋、フランス料理リラダンが誕生したのである。自分で店を始めてのち、” フランス料理店のトリセツ ”を書こう、と私は考えたのだった。

つづく