6ème:「野兎の静物」

10月15日。

月曜日の午前中にゴミ捨て場の掃除をするのは、群成舎が早朝に週末分のゴミを収集した後、空っぽになったバケツを水洗いできるからである。雨が降らなければ夕方まで外で干して、ステーションの匂いも飛ばしている。

料理にもこれくらい手とアタマを入れれば、一年中おんなじメニューにはならないのに、、

料理に手を抜いているワケではない。"引き出し”が無いだけ。元々凡人だからクリエイティブなことができない。ダシ取って、濾して煮詰めて塩コショウ。お、一句できたじゃん。

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定休日もリラダン在住。廻りにはワインがいっぱい有るから自然とグラスに手が伸びる。あ、出掛ける用事が済んだ後だけど。

東京エフエムとかサザンとかを聴きながら新聞読んだりイワシを漬けたりして過ごしている。

ギャルソンチーズ工房のKさんご夫妻とはずいぶんいろんな話をしている。お互いに異口同音なのは「食べやすい」=「おいしい」ではないってこと。ワインにしてもシェーヴルにしてもラム肉にしても、慣れない人が食べられるから良くできてる、ではないのだ。

20年前と今を比べると、トレビスもずいぶん苦さが減っている。リラダン開店当初はサラダに混ぜたトレビスを除けて残すお客人は時々居た。そういう野菜はたくさんあるけど売れなければしょうがない。大半の野菜は常に品種改良してんだなぁって思う。ヤギのチーズって、みんなが知ってるチーズとは全然違う。フレッシュな状態から漬け物みたいなものになるまで、刻一刻と味わいが移っていく。時に、舌に刺すような刺激が出ているものがあって、あ、これダメかなと私も思う。そういうものには「おいしくない」って言ってもいいだろう。でも、すごい良い状態だったり、品質的に問題無いのに否定されることほど残念なことはない。だから、テレビでタレントがよく言う「食べやすい!」っていうのは、作り手にとって発言者が考えるほど誉め言葉になっていないことに気が付いて欲しい、と私は思うのである。そういえば、読売新聞で学生の就活について、面接官や上司に使ってはいけない言葉が掲載されていた。ここにそれを列挙するつもりはないが、ひとつだけ思い出したのは、若い人が使う「普通においしい」という言い方は「すごくおいしい」という意味らしい。はぁ?と突っ込みたくなるのは私が半世紀を生きるオッサンだからかもしれない・・

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フジタは再婚の翌年に南仏へ向かい、スーチン(Chaïm Soutine)、モディリアーニ(Amedeo Clemento Modigliani)、ルノワール(Pierre Auguste Renoir)らと交流する。この時に描かれた静物画だ。マナ板にはネギ(ポワロー)とタマネギ、ウサギが横たわる。

仏語で家ウサギはラパン(Le Lapin)だが、野ウサギはリエーヴル(Le Lièvre)と名を分ける。フランスでは食肉としてポピュラーな食材で、スーパーマーケットでも皮を剥いだ状態で普通に並んでいる。ここ高崎でも山へ行けば野ウサギに遭遇するし、家ウサギの血は医療用(研究)として使う為、不用となるウサギ肉は容易に手に入るのは意外に知られていない。アバラ肉を骨付きで焼くと案外おいしいのだが、フランス料理っつー感じではないな。余談だが、在仏時、フランス人の友人に招かれて料理を頼まれた際、

 私:「マナ板、どこ?」

 友人:「 あれ、どこにあったかな」←キッチン内を探し出す

マナ板を使わないんだぁ、、

驚いたのと同時に、自分もマナ板無しで料理できるようになりたいって思った(笑)。

 

つづく