私が若かりし頃、そう、まだ20代だったか、レンズ豆をよく解ってなかった。職場でも使う場面に出会わなくて。
自分で使ってみたくて、500グラムのレンズ豆を一晩水に漬けて翌朝、5倍位に豆が膨れてしまって往生したことがある(笑)。当時はまだ珍しい食材だったし、今のようにスマホで調べることもできない。書店に行くしか方法が無かった。そこで棚から取り出した料理書を開いてみても載ってなくて。そういう時代である。
レンズ豆といえばフランスのピュイ産が最高だといわれる。アペラシオンも認められていて、皮付きでピカピカしていて、茹でても形が崩れない。値段は高いけど、近いうちに使いたいと思っている。フランス料理はやっぱりこういうのがいい。
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1915年、サラは右足を手術で切断する。10年前に舞台で痛めた右ヒザが壊疽した為だ。サラが71歳の時である。
だが、引退をするどころか、その後も映画に出演したり、戦地を慰問して精力的に活動する。
それからのち、体調を崩してニューヨークで腎臓の手術を受ける。もし自分がそうなったら、そう考えると、サラの強さというのは廻りの支えだけで活躍したのではなく、サラ・ベルナールという人物がどれだけ凄い人なのだと気づく。図録に、戦地へ慰問に行ったサラがインタヴューで語った言葉がある。「あの場で、兵士達に囲まれて死んでもいいと思いました。愛情豊かで、雄々しく、陽気で、まさにフランス人そのものと言える彼らの真ん中で」
同行した女優の一人は「開演を待ち焦がれる兵士をサラが感じ、身震いした。この場が、貴族達のような観客が居る会場よりも大切に思えた」それはまるで"ラ・マルセイエーズ”を歌うかのような盛り上がりだったようだ。
地下室のような楽屋で、サラは一本足でけんけんしながら移動する。70を越えた脚は鶏の足のように乾いていて、サラは笑いながら「私、ホロホロ鳥よ、ホロホロ鳥よ、、」と笑ったという。
「小さな椅子に乗り、やっとのことでやってきた片脚の天才的な老女が最も偉大に見えた」と締めくくっている。
オレ、がんばる。
いいモン作ろ。
つづく