Monsieur Robuchon et Moi

9月10日の月曜日。

晴れていた朝から一転、雨の一日になった。相変わらず仕入れ&仕込みの定休日。ああ、ワイン呑みたい。

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ジョエル・ロビュション氏がお亡くなりになってひと月以上が経つ。私が話題にするにはあまりにも不相応だし、失礼にならなければいいのだが。

私が19の時、氏のセミナーに参加したことがある。時は1987年の12月。氏が43歳の時だ。その頃の日本の西洋料理界は、フランス料理の世界に身を投じることが当たり前で、そういう道標というワケではなかったけど、ロビュション氏が日本に来ること自体がセンセーショナルだった。いくら払ったか覚えてないけど、結構した気がする。限定数十人という枠を聞いて急いで応募したのだった。

ロビュション氏が50歳で引退する宣言をしたのは、アラン・シャペル氏が早くに他界したのがきっかけだというのが私の記憶なのだが、違っていたら申し訳ない。私がセミナーに参加した年に、私はフランスのソーリューにあるレストラン、アラン・シャペルに訪問して、食事の後、シャペル氏が私と一緒に写真に納まってくれたのは貴重なことだったのだが、その時、当時知られていたシャペル氏の印象とは全然違って、ガリガリに痩せていたのは衝撃的で。その3年後、シャペル氏が52歳で急死したのである。

当時、まだ若かったロビュション氏が50歳で引退すると公言したのはこの後だ。ミシュランの星を維持するのは命を縮める。そういう理由だったと思う。50歳で引退かぁ。。と、当時の私は思ったのだった。

アラン・シャペルの店では、厨房も覗かせてもらった。当時そこの厨房には二人の日本人がいらっしゃって、了解を得て写真を撮った。背の高い男性はどなたなのかわからないのだが、もう一人はシャペル氏の愛弟子である渋谷氏だったというのは、帰国してしばらくしてから知った。

食べた料理は記録として残してあるのだが、はて、どこにしまってあるか、、。主菜はプレ・ロティ(若鶏のアンティエをゲリドンサーヴィスによってデクパージュされて供された)で、デセールもクラシカルなガトーが並んでいて。トイレは二階に有って、まるでホテルの一室のようなトイレで。三ッ星ってこういうもんなんだぁ、と思った。そういう印象が植え付けられた私は、現在の三ッ星基準は、ずいぶん様変わりしたな、、という感が否めない。

ロビュション氏のスペシャリテは数多く、今更ここで紹介するほど野暮なことはないが、1つ挙げるとすればやはりポム・ピュレ(マッシュポテト)だろう。皮付きでジャガイモを茹でて皮を剥き、ムーラン(フランスの漉し器)でパッセして、たっぷりのバターとミルク、塩を加えて仕上げる。実際、フランスのシェフ達がこよなく愛するマンマの料理といえばプレ・ロティのポム・ピュレ添え。こういう根っこが、フランス料理を支えていると私は今も信じている。

デュカスの料理も、モナコ時代がスゴいおいしそうだし、なんだか今のフランス料理って、どうしてこうなっちゃったんだろうって思う。どうって、ソースは無いしさ、ラボ的なアシェットだし。最高の部位を提供するのがガストロノミーなのであれば、私は魅力に感じない。ロティールした肉はロゼ色に焼けた部位も黒く焦げた部位も、両方無くてはならない部位。どちらも魅力的で欠かせない。トリミングしたらその破片はどこへ行っちゃうの?そういう部位もお客様に出したいじゃない?

そういう料理は絵画に例えるのとは違うのよ。まあ、どういうフランス料理が好きか。それだけの話。

言い方悪いけど、料理って食いモンなのだ。それ以上でもそれ以下でもない。ウマいかそうでないか、そういうこと。最高の料理というカテゴリはそういう人達に任せ、私は、大衆が愛するフランス料理を追い求めるのである。

"美味”というのは、例えると、旨いポム・ピュレがア・ラ・キュイエールでアシェットに載ってるだけでいい。料理に関して言えば、美しさって、追い求めるものではなく結果的に備わってくるもの、というのが私の持論。まあ、私が言っちゃあダメだけど。

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昔は、氏の名前は“ロビュション”だったのに、ここんとこ”ずっと"ロブション”と表記されている。「bu」って「ブュ」だと思うんだけど。ミッシェル・ブラス氏の名も、日本に紹介され始めた頃は“ミッシェル・ブラ”だった。最後の「s」は発音しないっていうのが仏語のルールなので、当初は「ブラ」だったのだが、ご本人による"訂正”で「ブラス」表記になったわけである。ロビュション氏も、もしかしたら当人による訂正もしくは発音に近い音が「ロブション」なんだろうか。私がお世話になったフランス南西部マディランのワイナリーオーナーであるアラン・ブリュモン氏は、現地では“アレン”と呼ばれていて、ああ、確かに「Alain」の"ai”は「エ」と発音するし、なにより氏の奥様がブリュモン氏を「アレン!」と呼んでいた。ちなみにこの地方では、仏語でいう数字の「5」はサンクといわずに「スィンク」と発音する。「ああ、それはパトワ(Patois=方言)だよ」と教えてもらったのを思い出した。

人名を発音通りに外国語で表すのは、意外に難しい。

フジタ「Foujita」でさえ、工夫してるくらいだもんね。できるだけ近い音で聞こえる書き方を模索するしかない。

私のファーストネームも、そのまま読むと違う聞こえ方になってしまい、フランス人は発音するのが難しそうだった。

さて、

負けそうだけど、

がんばろ。

 

おわり